Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

今年の振り返りと来年の抱負

 来年の抱負について考える。来年はどんな年になるだろうか。いい年になればいい。では、今年はどんな年だったのか。自己紹介も踏まえて、少し振り返ってみる。

 一月。私は3年前から都内の学習塾の教室長をしているのだが、仕事柄、1月は受験シーズンのため多忙である。特に大変だったのは中学受験生だった。自分にとって初めての中学受験生だったため、どれだけの対策をすればいいのか要領が分からず、過去問を何周もしたり、苦手単元のプリントを山ほど(積んだら1メートルは超えるはずだ)出して解かせたりと、とにかく延々とコピーしていた。Tさん(仮名)も、自分が出すプリントをよく解いてきて持ってきてくれた。授業中は大人しく、黙々と問題を解くのに対して、授業が終わった後とはまるで別人のように友達とお喋りをしていたのが印象的だった。彼女は倍率3倍を潜り抜けて、見事、第一志望校に合格した。3日間連続で受験して、その最終日に合格した。終わり良ければすべて良しとは、本当にこのことだ。受かったら全てが良かったことになる。受験とは、結局、勝負なのだ。結果こそがアルファであり、オメガである。

 二月。私立一般の大学入試と東京都立の一般入試があった。冬季講習は1月中にほとんど実施するので、2月は生徒自身の最後の追い込みになる。自学習に来た生徒のモチベーションをどう維持するかがポイントになる。Sさんのことを思い出す。彼女は学校の内申がとても高く、本人は推薦入試でも志望校に合格するかもしれないと思い、一般入試の対策を真剣にやらないできた。しかし、都立の人気校の推薦入試は、特に女子は男子に比べて倍率が高く、Sさんは推薦入試に落ちてしまった。彼女は、推薦に落ちたことからなかなか立ち直れずにいた。一般入試の過去問にも手が付かない。私は、彼女と会うたびに「過去問やった?」と確認するが、彼女は、「やってない」とも「やった」とも言わず、苦笑いで返す。入試直前に、私は彼女と少し話をした。なかなか過去問に向き合うことができない彼女に、私は、彼女に「あなたはなんで立ち止まってるの?」と言って、立ち去った。発破をかけるために。その後、彼女は、少し泣いていた。泣きながら過去問をやっていた。私はもう彼女に声を掛けることができなかった。彼女は、その後、一般入試を受け、推薦で落ちてしまった第一志望の高校に合格した。合格の知らせがなかなか来ないので、私から電話した。お母さんが出て、合格の知らせを教えてくれたのを覚えている。本人は、きっと有頂天だったのだろう。塾に合格の知らせをすることなんて忘れるくらいに。

 三月から六月の四ヶ月間のことを、ほとんど思い出すことができない。ただ、七月から二ヶ月間休職に入ったことは確かである。生徒数が増えず、アルバイトの講師さん達に仕事が振れないことを気に病んでいたのは確かである。あの頃、私は完全に鬱病だった。

 七月から八月。休職になった途端に、憑き物が落ちたように、体が軽くなったのも覚えている。今年の夏は異常に暑かった。外に出るのが危険だった。家に居るのも飽きて来る。ヤフオクで、坂口安吾の全集を買った。休職期間中に読もうと思ったからだが、結局、読まずじまいだった。ただ、その期間に元気なったのは確かである。自炊したり、運動したり、薬を飲んだり、音楽を聴いたり、映画を観たりしていた。3日間だけだが、母親の実家に帰省もした。祖母に久しぶりに会った。私は祖母の家でほとんど寝ていただけだった。元気になったといっても、それは気分が晴れたというだけのことで、実質が伴っていなかった。また、医者から減量をするように命じられた。脂肪肝と言われたのもその頃の検診の時だ。ジムに通い始めた。

 九月。仕事に復帰した。復帰後は快調だった。事務作業も授業も捗った。作業効率も高かった。何か吹っ切れたような感じで働いていた。一人の生徒が、日大テスト(正式名称は「基礎学力到達度テスト」。全国にある日本大学の附属高校の高三生が受ける内部進学テストで、主に、三年生の九月のテスト結果によって日本大学の志望する学部学科に進学できるかどうか決まる)を受けるということで、彼女の指導にかなり力を入れていた。無料で個人指導もかなりやった覚えがある。

 十月。生徒の数は休職前と変わらず、四十人前後。授業には出ず、主にスケジュール管理や電話対応、自学習のサポートが中心。この頃から一人の高三生の英文法の指導を開始する。文法書を三ヶ月かけて一緒に通読するという計画を立てる。毎日夕方四時から五時まで、K君とつきっきりの指導。これは現在まで継続して行なっている。また、この月に新しく入会したUさんにも、K君同様、つきっきりの自学習サポートを開始。彼女は二学期の期末テストが勝負だったので、毎日夕方五時から十時までの五時間自学習してもらうことにして、自分も手が空き次第、彼女とつきっきりで数学の面倒をみることにした。

 十一月。Uさんの定期テストもなんとかなった。だんだん疲れてきたのがこの辺り。冬季講習の面談が始まるのがこの辺りから。私は講習の面談になると途端に鬱病になる。これは三年間ずっとそうである。つまり、私は、夏と冬と春、年に三度鬱病になっている。今年も似たような感じだったが、上司の助けもあり、一応、なんとかはなった。ただ、この辺りで、この仕事は絶対今年度限りで辞めることを決意したのを覚えている。

 十二月。冬季講習の面談がなんとか終わり、スケジュール作成も終わり、やっと落ち着いた。山を越えたような感じ。冬季講習の売り上げのことを考えなくて良くなったので、やっと目の前の生徒の受験のことに専念できる。今日現在は、中三生、高三生の受験指導に精力を注いでいる。特にS君の受験指導が一番手こずっている。

 今年の一年を振り返ってみて思うことは、なんといっても、私自身の病気、躁鬱病双極性障害Ⅱ型)のことである。この病気は気分障害の一つであり、調子が良い時と悪い時が波のように交互に来るのが特徴である。今年で言えば、一月、二月、九月、十月が調子が良く、七月と八月が一番落ち着いていて、三月、四月、五月、六月、十一月、十二月が調子が悪く、特に、五月、六月の夏期講習前、十一月、十二月の冬季講習前が一番調子が悪い。これはこの三年間ずっと同じであり、同じサイクルで回っている。トータルで見れば、調子が悪い時の方が多く、実感としては「命を削って働いている」感じである。

 今年度限りでこの仕事は辞める。その決意は固い。このサイクルを来年も回したくないからである。これ以上命を削りたくない。まず、自分の命を大切にしたい。

 来年の抱負は、まず三月末までに次の仕事を見つけることだ。そして、とにかく、体を大切にすることだ。食事、運動、睡眠を規則正しくすること。それだけで来年は合格である。仕事ばかりしなくてもいい。病気とうまく付き合うやり方を編み出すことを生活の中心に置く。

来年の抱負を箇条書きにしておく。

・体重を70キロから65キロまでに戻す
・毎食自炊するためにレシピを覚える
・毎日暇を見つけてジムに行く
・毎朝新聞を読みつつ、中学レベルの理科社会の勉強も同時にやり直す
・毎日英語の勉強を最低2時間はやる(英和辞典、英和活用辞典、英英辞典の通読)
坂口安吾全集を読み通す
・毎日音楽のアルバムを一枚聴く

まあこんなところか。新しい仕事も見つけて、ダイエットもして、勉強もして、何より健康になることが第一目標である。