Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

自己観察記録ノートを作ろう

 生活習慣を変えたいとずっと願ってきた。あるいは、理想的な生活習慣を身に付けることに憧れを抱いていた。だが、希望や憧れだけでは何も変わらないどころか、現実とのギャップを思い知ることで、それが淡く儚いものであることを知り、余計に鬱病が悪化するということになるのである。

 ではどうすればいいのか。現実を肯定することから始める。これは答えというよりも問いに向き合う態度の問題である。理想から現実を構成するのではなく、今ここにある現実からあるべき理想に向かって少しずつ修正していくような態度である。

 現実を肯定するとは、単なる事実の是認ではない。それはどちらかと言えば仏教的な考え方かもしれない。現実とはままならないものだ、という認識から物事に取り組む姿勢である。その考え方を推し進めれば、しかしながら、厭世主義や虚無主義と選ぶところがなくなる。物事には程というものが大事である。現実は思い通りにいかない。自律一つとっても、なかなか上手くいかない。じゃあ、世俗的なものを一切諦め、出家できるのかといえば決してそうもいかない。つまり、私たちの生きる現実は、矛盾や葛藤がその本質である。そのうような生の現実を肯定するような態度を養いたいと思っているのである。

 逃げない、負けない、誤魔化さない。これが私のモットーであり、今後もあり続けるだろうと思うが、特に最後の「誤魔化さない」がとても大切であるように思う。私はすぐに何かを誤魔化そうとするところがある。取り繕うとする、相手の機嫌を損ねまい、怒られまいとして、何かを隠したり、嘘を言う。「誤魔化さない」とは、御機嫌取りを止めるとか、嘘を吐かないという意味ではなく(無論、それをしないに越したことはないが)、寧ろそのまなざしは内面に向けられており、そういう自分の気弱さや狡さを見逃さないということだ。

 私の中では、「肯定」とは、「誤魔化さない」ことなんだと思う。寸分違わず、現実の複雑な構造や形を把握すること。その為には、複眼的かつ鳥瞰的な視座が必要になる。木「も」、森「も」、見えるような目である。物事を多面的に把握し、他のものと適切に相対参照させながら、歴史的な経緯を踏まえつつ、尚且つその対象の本質を洞察し、簡潔な言葉で表現する。これは、まるっきり、人文学の方法論と同じである。

 生活習慣の改善の成功は、自己観察がどれだけ本質に迫っているかどうかに依存している。分かり易く言えば、自分の生活をどれだけ「エクセル」的に計量化し、「ワード」的に記述して、その記録を貯めてきたかどうかにかかっている。自己観察記録ノートを手作りする必要がある。

 ノートを買ってきて、色々と試してみたい。