Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

生の倦怠と想定力

 今日は仕事が休みで、外も雨で寒いので、ジムに行くことにした。最近またジムにハマっている。ジムはいい。行くまでが少し勇気が要るが、行ってしまえば必ずいいことがある。行くまでの勇気とは、一言で言えば、「面倒くさい」をどうやっつけるかにかかっている。何が面倒なのか。まず、外に出るのが面倒である。スポーツウェアに着替え、ランニングシューズを履き、水を用意し、iPadの充電をしているか確認し、スマホとヘッドホンを用意し、それらをバックパックに詰めて、500メートル程歩く必要がある。ジムから帰れば、着替えを洗濯して、干して、乾かした後に、取り込んで、畳んで、箪笥にしまう必要がある。シャワーを浴びないと気持ち悪いので、余計に洗濯物が増える。風呂掃除もしないといけない。水道、電気・ガスの料金も上がっている。また、ジムのウォーキングマシンで歩いているときに視聴するコンテンツを選ばないといけない。今日試してみて分かったが、映画を観ながら歩くことは結構大変である。MV(Music Video)くらいがちょうど良い。自分の好きなコンテンツは主にヒップホップ/ラップであるが、それももう大半は観た。繰り返しばかりになって、かなり食傷気味である。となれば、新しいジャンルの音楽を見つける必要もある。それもまた「面倒臭い」のである。

 三島由紀夫が「生の倦怠」ということをどこかの記者会見でしきりに強調していたが、まさに、単身者の生活は「生の倦怠」との闘いである。これに負ければ、生活は活力を失い、肉体の免疫力も低下し、家計は回らなくなり、仕事も手につかなくなり、精神が荒廃する。これは、少し拡大して言えば、「ニヒリズム」との戦いなのである。都会で暮らす単身者の生活とは、ニヒリズムとどう戦い、生の充実や幸福を勝ち取るのか、というのが至上命題なのである。

 で、話をジムに戻すと、私は今日やけにテンションが高く、体がウズウズしていた。これは徐々に健康になってきた証である。本を読もうと思っても落ち着かない。ヘッドホンで爆音でフレデリックの『オドループ』を聴きながら、ジムまで早足で向かった。先にくどくど書いた、「面倒くさいこと」など全て忘れて、とにかく体を動かしたかった。ジムに着くと、上着と荷物をロッカーに入れ、スマホiPadとヘッドホンだけ持って、空いているウォーキングマシンに飛び乗った。何か映画を観ようと思って、『ダイハード』でも観ようかなと思って、観ていたが、なかなか体のウズウズが落ち着かない。やはり、映画を観ながら歩くことは相当難しい。集中できない。で、アップルミュージックにあるMVで、自分のお気に入りの曲を流しながら歩くというので落ち着いた。これも先に書いたことだが、今、自分は音楽に食傷気味である。自家中毒症に近い。私のプレイリストは好きなものに溢れているが、好きなものしかないというのは、かなり不健康な兆候である。新しい分野、ジャンル、年代を探求していかねば、このヒップホップ「沼」とでも言いたい、自家中毒症から抜け出ることができない。
 
 結局、1時間程度、ラップを聴きながら歩いていた。その後、少しだけ無酸素運動をして、家に帰った。シャワーを浴び、洗濯物を回して、干している。

 何事も、「想定力」が必要である。これは上司から学んだ一つの仕事術の根本的態度である。想定力、段取り、下準備、手順書の作成、そういうことを教わった。これはプライベートでも使える発想である。逆算の発想である。締切があるものに対して、今自分が何をすべきかを考える思考法である。

 一番自分に合っているのは、自分独自のマニュアル作り、手順書、企画書作りである。自分自身に対する約束である。

 今日は、睡眠導入剤を飲んだせいか、大変眠い。もう寝よう。