Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

何をどこに記録するか

 特に書くことはない。プライベートなことがどんどん決まっていっている。こういうことを本来はブログに書くべきなんだろうが、なんとなく、いろんな方面に迷惑がかかると思い、自分の日記にも書いていない。頭の中でまとめている。

 本当に大事なことは、頭の中にある。ブログや日記や家計簿やスマホのタスク管理というのは、あくまでも、この頭の大事でない部分の代用品であり、どうでもいい記憶の外部装置として存在する。あるいは、本当に大事なことほど、どうでもいい紙の裏紙に書き、すぐに捨ててしまう。大事なことは書かないし、保管もしない。頭の中でぐるぐると回している。そして、決して忘れない。

 なぜ大切なことを紙の上や記録媒体に残さないのかと言えば、まさに今言ったように、決して忘れないと思っているからだ。本当に大事なことは、紙ではない、すぐに行動に移す。身体が問題である。大事でないことは、脳の問題であるから、後で見返すために記録する。体重とか勉強の進捗とか買い物のレシートといったものは、大事でないからこそ、自分の頭ではないものに記憶させないと忘れてしまう。そういうものは記憶というよりも記録であり、データだ。

 私はデータを軽んじているのではなく、記憶というものを区別しているのだと思う。統計学的な手法で扱うべきものを「データ」として、生活における政治的な解決を求めるものを「問題」として把握しており、前者は、すべて記録保管管理しようとする一方、後者については、機が熟すのを待ち、何かタイミングを図っている。そういうものは、丁寧な思考ではない、もっと身体的な、行動的なもので解決するものだと分かっているのだろう。言われなくても分かっているから、リマインダー機能も使う必要がない。朝晩のルーティンこそ、リマインダーされるべきだ。

 何をどこに書くかということは、もっと意識されてもいいかもしれない。

 ブログに書くことは、例えば、英語日記を始めるとか、書評や音楽評を書いてみるとか、料理のレシピを書くとか、旅行記を書くとか、商品を紹介するとか、何かしら生産的な目的で使う方がいい。

 SNSは英語の勉強の場として利用したい。

 紙の日記に書くことは、プライベートな秘密である。自分自身との対話の場として利用する。家計簿もそうである。

 アプリに書く(記録)するのは、健康管理(食事、睡眠、運動)や勉強記録、読書メーターのような蔵書管理である。

 道具使い方は、よく熟知しないといけない。