Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

ささやかな願い

 ほんの少しだけ鬱っぽい。きっと天気のせいだろう。ここ数日、東京は雨である。低気圧のせいだ。何か変わったことがあったわけでもない。

 

 百万遍繰り返したことだが、私は今年度限りで今の仕事を辞める。これはもう決定事項と言っていい。なぜ辞めるのか。それは大きくいって二つ。一つは、給与面である。私の仕事は学習塾の教室長なのだが、実質は、サラリーマンと変わらない。教室長というと聞こえがいいのか、よくないのか分からないが、一般の人は、何か教育的な仕事をしていると思われるかもしれない。実態は、半分半分といったところだ。私の仕事の大半は、営業活動と事務処理、片手間に教育(授業、生徒面談、プリント作り)をしている感じである。営業活動の半分は、夏季・冬季・春季の講習である。講習の売り上げが立たないと、教室運営はやっていけない。もう半分は、新規面談である。業界用語でいう「面契率」(面談回数に対する契約の割合のこと)を上げないといけない。面契率を上げるためには、「内部充実」(既存生徒への働きかけ、保護者への働きかけを通して、友人紹介や兄弟姉妹紹介を呼び込む)と、広告(HPの更新や校門前配布、キャンペーンの実施を通して、新規生徒を呼び込む)の二つが手段として挙げられる。事務処理とは、契約書類の登録と管理に始まり、生徒の日程表やファイル管理、学習の進捗状況の共有化、振込口座の登録、講習日程表の作成、三者面談の日程調整、タブレット教材の管理、週次報告の提出、収支表の提出、売り上げ目標の管理、講師のシフト作成と調整、生徒の授業の振り替え管理、支払いの延滞の確認とその徴収といった感じで、膨大である。今挙げたような細々とした仕事の他に、講師の代用として授業に入ったり、質問に答えたり、生徒に声掛けをしたり、時に生活指導をしたり、保護者のクレームに対応したり、営業電話を断ったり、なんだりかんだりで、まあ、私は疲れてしまったのである。で、給与面の話に戻るが、今挙げたような仕事に疲れと嫌気が差してしまったのは大前提なのだが、給料が3年間で一円も上がらないどころか、ボーナスが(講習の出来高に左右されるため)年々下がってしまい、生活していけないレベルになってしまったからだ。それが一番の理由である。本当に恥ずかしい話だが、社会人になって初めて親から借金もした。仕事が辛いから辞めるというより以前に、これでは生活が破綻すると直感するから辞めようと思うのである。

 

 もう一つの理由は健康である。仕事が大変で給料が下がって貯蓄も底をつきかけているのと同時に、体調がすこぶる悪いのである。この三年間で、体重が15キロも増加した。年々増加している。働けなくなるくらい酷く、体も心も疲弊しているのがよく分かる。人間関係が悪いのではない。寧ろ上司は優し過ぎるくらいだ。一緒に働いてくれるアルバイトの講師さんも私を慕ってくれている。生徒も可愛い。寧ろそれが後ろ髪を引かれる原因である。私がこの仕事を辞めるのは、単純に、給与面と健康面だけである。それは自己管理能力不足の面も相当に強い。私の望みは、毎月貯金できることと、健康になり、元気になり、規則正しい生活が送れるようになること。ただそれだけである。自分の生活を成り立たせること。それだけが今の自分の望みである。今の仕事を継続しながらそれをすることは、この三年間を通じて、少なくとも現在の自分にはできないことは明白だと思われる。

 

 離婚が結婚よりも大変なのと同じくらい、転職は就職よりも大変である。いざ辞めると決めた時に限って、遣り甲斐や充実を感じるようなことが起きがちである。でも、もう本当に辞めるのだ。泣いても笑っても、あと一か月だ。けじめをつけて、跡を濁さないように去りたいと思っている。