Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

私という橋

 日曜日は仕事が休みである。別に用事はない。何をしても自由である。だが、この「自由」というのが問題である。何をして時間を過ごせばいいのか、一人暮らしをもう12年しているのに、一向に見当がつかないのである。

 

 大学時代、私は大学の近くの下宿に一人で住んでいた。下宿仲間も多かったので、休みの日も寂しくはなかったと思う。ただ、夏休みになると実家に帰省する友人も多く、誰にも会えない日が立て続く時があった。あの頃、自分は何をしていただろう。

 

 大学院時代は孤独だった。同級生は皆就職してしまって、誰も周りにいなかった。私の大学院時代はあまりにも失敗続きだったので、今後何かをする時は、必ず参照するべきであると自覚しているが、とにかく、私は、孤独と相性が悪いのだ。物を作る人、職人、作家、画家、音楽家、陶芸家、或いは農家や林業、漁業を営む人々の中には、孤独を感じない人もいるらしい。私はそういう人々の手記を読んだり、体験談を聞くたびに、羨ましいと思った。

 

 私も、この孤独を解消するために、何か物を作る生活を送るべきではないかと考えたこともあった。私ができる物作りで思いつくのは、第一に、翻訳であった。私は昔から翻訳(日英、英日)が好きである。辞書をひっくり返しながら、英語と格闘するのが好きで、まさに「時が経つのを忘れて」没頭することができる。更に出来上がった文章を自分で読んでみて、納得のいくまで校正するのが好きである。それはどこかしら職人的な感覚のように思われる。また、私はドラムという楽器が大学時代より好きになった。音楽の聴き方も、ドラムやベースといったリズムやテンポに注意が向くようになった。何よりも自分で演奏することが好きだった。ただ、それは、友人と一緒にセッションするのが楽しいのであって、一人の練習は味気ないのは確かである。(その点、ピアノやギターなどのメロディを作る楽器は一人の練習でも楽しそうである。)第三に、料理がある。私は最近になってようやく料理というものに関心が向くようになった。きっかけは、土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』という本だった気がする。最近は「けんた食堂」というYouTuberの動画をよく観るようになった。料理は愉しい。また技術を覚えるのも愉しいものだ。ただ、やはり、独りで食べるのは寂しい。自炊の何が一番虚しいかといえば、作った後、食べた後である。1時間かけて作ったものが、ものの5分足らずで胃袋の中に消え、汚れた皿やフライパンが残る。徒労、とまではいかないが、やはり何かしら虚無的なものは残る。

 

 やった後に満足感が残るものだけをしたいと思うのである。形になって残るものこそ、もの作りの喜びではないか。その線で行けば、今の自分に最も身近なもの作りはこのブログではないか。書いたものを公開する、よい文章はPVが上がる。物を書くということの悦びは、見知らぬ人がたまたまそれを読んでくれ、何か反応が返ってくることだ。ブログは読まれて初めて価値が宿る。その意味で、私は、ノートに書き記す個人的な日記と、このブログを使い分けているところがある。日記には、仕事の事や内面的なことが書かれてあり、自分だけがそれを読み、日々の内省に役立てる。ブログは、自分の為ではない、誰かのために書くのだ。事実、ブログを読み返すようなことはしない。あまり校正もしないから、完成度は高くないかもしれない。ただ書き、ただ公開し、たまにPVが上がったりする。それが楽しいだけである。感覚は、ほとんど俳句や短歌に近い。とにかく、思いの丈を打ち明ける。中身があるとかないとか関係なく、つらつらと、自分の心を描写する。それがただただ楽しいからそうするのであって、それでお金を貰おうとも思わない。貰ったら多分辛くなる。だからこそ、私は、ブログサービスとしての「note」と合わなかった。有料記事にするほど何か有用なことを書きたいと思わなかったからだ。

 

 ゼロ年代を代表するオルタナティブ・ロックバンド、andymoriのデビューアルバム『andymori』(2009年)を聴いている。『ファンファーレと熱狂』(2010年)、『革命』(2011年)、『光』(2012年)、そして『宇宙の果てはこの目の前に』(2013年)までを通して聴いてみたい。大学の頃の友人が好きだった。

 

 休みの日は音楽を聴いて、映画を観る。料理をして、ジムに行って、散歩する。散歩をしながら風景と出会えば、スマホで写真を撮る。家に帰ってブログを書いて、公開する。翌日のスケジュールを確認して、お風呂に入って、薬を飲んで、寝る。

 

 何が不満なんだろう。読みたい本は山のように本棚に詰まっている。英語の勉強も用意が整っている。これ以上の用意はもはや不要である。音楽もサブスクでいくらでも聴ける。サブスクにないものはYouTubeで聴こうと思えば探せる。映画もアマプラで観れる。なければレンタルで借りて観られる。TSUTAYAでDVDレンタルもできる。外食がしたいなら、探せばいくらでも店はある。これ以上何が不足なんだろう。満ち足りている。これ以上欲望を刺激して、どうしたいのだろう。出会いたければ、マッチングサイトでいくらでも女性は「待っている」。もし自分の見た目を気にしているなら、ジムに行けばいい、食事制限をすればいい。仕事が合わないなら転職すればいい。東京が嫌なら引っ越せばいい。また別の町で、別の仕事を探して、別の人生を選び直せばいい。日本がどうしても合わないなら、せっかく英語が話せるのだから、海外に移住すればいい。選択肢はいくらでもあり、何を選ぶのも自分の自由なのだ。ここに留まりたいなら留まればいいし、留まりたくないなら、勇気をもって、外に出るべきだ。

 

 選ぶことができる。何も選べなくなる時が来る前に、何かを選ぶべきだろう。死とは、何も選べなくなる状態である。あなたが、今、生きているのか、死んだように生きているのかの違いは、あなたが何かを選ぶことができるかどうかである。

 

 ただ、最近は、選ぶことに疲れた。また、本当の選択というのは、今日の献立を考えるような生活の次元から、転職先を選んだり、恋人を選んだりという人生を変えてしまうような選択まで、幅が広い。私は、寧ろ、もう何も選ばなくていい状態になりたいから、次の職場で一生安泰、次の恋人で一生安泰、次の引っ越し先で一生安泰、をしたいのだと思う。それが幻想だとしても、その幻想に浸っていたい。毎日毎日、何かを選択し、何かを捨て去り、何かに責任を取り、重圧の中生きていく、というのは、私の父の生き方であり、それは、とても、大変である。

 

 私は、私達は、意志の選択を求めているのではなく、宿命的なものを求めているのではないかと、英学者の福田恆存が言ったと、文芸批評家の浜崎洋介氏が言ってたが、その通りである。

 

 andymoriを流している。大学の友人を思い出す。私の青春は、中学でも、高校でもない、浪人でもなく、やはり、大学時代の5年間だった。

 

 大学院に入学したとき、私は既に25歳であった。それから、社会に出たのは、27歳だった。病気して、また世間に復帰したのは、30歳だった。今33歳である。大学院時代(2年)、教員時代(1年弱)、療養時代(3年)、会社員時代(3年)の、この9年間は、孤独な時代だったと言ってよい。自分と向き合った期間だった。来年度からは、もう、自分なんか放って置いて、別のことに注意を向けたい。

 

 私は躁鬱病を患っている。双極性感情障害、あるいは、双極性障害Ⅱ型ともいうらしいが、躁鬱病の方が分かりやすい。作家の北杜夫さんは躁鬱病だったそうだ。娘さんが『パパは楽しい躁うつ病』という手記を残している。アマゾンで買ってみた。

 

 そうだ、私は愉快な躁鬱病。これは遊びである。冗談半分で付き合わないとやってけないよ。アーティストの坂口恭平さんも『躁鬱日記』や『躁鬱大学』を書いている。躁鬱病患者を「躁鬱人」と呼ぼうと言っていた。私も立派な躁鬱人。これは人種の話なんだろうと思う。人種といって差別的なら、人格の話だ。精神科医神田橋條治さんが「説き語り」したという『神田橋語録』は、とてもいい文章だった。少し引用する。

https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf

 

 躁鬱病は病気というよりも、一種の体質です。心が柔らかく傷つきやすい人たちに多いです。特有の滑らかな対人関係の持ちようは躁鬱病の証拠です。

 

対人関係の持ち方としては、お人よしで元々調和を作ろうとするタイプなので、他者の意向を観察する癖がついています。顔色を窺ってしまいます。その結果周囲の評判が上がり、「良い人だ」と言われます。初対面でも柔らかい印象で、相手に不愉快な感じを与えません。打てば響くようにコミュニケーションがピタッとあったり、ドンドン相手に接近して行くようであったりします。 

 

うつ病と違って認知の歪みはありません。自分を観察したり反省したりするのは病状を悪くします。

 

躁鬱病の人は我慢するのが向きません。「この道一筋」は身に合いません。ずぅーとではないにしても、「吾が・まま」で行かないと波が出ます。「私さん、私さん、今何がしたいのですか?」と自分の心身に聴いてみながら行動することです。自分の生活を狭くしない事。広く広く手を出す事。頭はにぎやかにして、あっちふらふら、こっちふらふらがよろしい。やってみて良くなかったら止めたらよいだけです。生活が広がるほど波が小さくなります。用心のためと思って、それをしないでじっと我慢していると中々良くなりません。窮屈がいけないのです。一つの事に打ち込まずに、幅広く色んなことをするのが良いでしょう。そうして色んな人と付き合えば、薬は要らなくなるか減らせます。内面よりも外界の観察に向いています。例えば最近の映画、若者のファッション、ああいう人はこういう性格で、とかに注意を向けるべきでしょう。結婚するならば、躁鬱病の人が持つ細やかな気配りをキャッチできる人が良いでしょう。

 

気分屋が基本気質ですから、「気分屋的生き方をすると気分が安定する」という法則を大切にしましょう。コツはまずくだらない事を遊び半分でやることです。価値の無い事、無駄なことから始めましょう。そうすれば中途で止めてもがっくり来ません。価値あることをしてしまうと、しんどくなった時に途中でやめられなくなるから、損です。逆に無駄なことをどんどんやるのは、治療に役立つから無駄ではありません。気ままに散歩するとか、買わなくても良いから百円ショップに行ってみる、とかを薦めます。多様な刺激を脳に送り込む事になるから、それが躁鬱病の人の脳に良いのです。昼休みにB級グルメを食べに行きましょう。自分の気持ちが動いたものにフッと手を出す、これが大事です。通勤のコースを変えてみる、途中で道草してコーヒーを飲む、とかをしてみましょう。コーヒーの入れ方とかデザートの作り方とか、そういうことの薀蓄が増えるだけでプラスです。「この道一筋」というのは躁鬱病の人には似合いません。フアン・ファンと生きて、日々目先を変えるのがよろしい。多彩で幾分賑やかな時を送るようにしてください。生活を万華鏡のようにしてください。平穏と充実は両立します。しようかと思った事をしないでいるとストレスになります。法に触れない事なら何でもしてみましょう。生活が充実してくると波は小さくなります。充実感があれば薬はもっと減らせます。

 

 大体当て嵌まっている。こういうのに難癖をつけても仕方ない。先生がそう言っているんだから、批判するのはよしたほうがいい。素直になるがよろしい。

 

 特に印象に残ったのは、注意を自分に向けて内面を見つめても「治らない」ということ、また、外の世界の観察に向いているという指摘である。そうなのだ。私は、別に認知が歪んでいるのではない。この眼は内面ではなく世界に開かれて初めて何かが分かる。家の中に閉じこもっていてはいけない。外を見よう。多分、高校時代地理が得意だったのは、そういうことだったのだろう。「書を捨てよ、町へ出よう」とは、まさに。

 

 否、本の世界に入ればいいのだ。音楽も映画もそう。翻訳もそう。(追記。自分の心ではなく、自分の体に向き合う方が余程健康的である。)何か、自分ではない、外部に、外の「世界」に入る方が私に相応しいのだ。自分の内面を見つめても、伽藍洞なのだ。ここには何もない。自分は空っぽな空洞で、自分は何かと何かを繋ぐ橋のような存在なのだ。私は一本の橋であり、媒介作用である。そう思っておいた方が良い。アジカンの『君という花』という歌がある。私という橋。それでいいと思う。