Abyss

本や音楽、映画の感想、日常のエッセイ、旅行記などなど、生活を題材に色々書きます。

我が身可愛さ

 なぜ教師を志すのか、なぜこの仕事を辞めるのか、なぜ東京都の中高の英語教員を志すのか、本当の気持ちを知りたいと思う。

 

 なぜこの仕事を辞めるのかについては、もう何度も考えたし、既に結論は出ている。給与面と健康面がその主であるが、本当の理由は、この仕事が向いていないからである。私は結局一度も季節講習の準備を「ちゃんと」することができなかった。本当にやりたい事ではないことに、無理矢理コミットしようとして、案の定、体調を崩した。もうそういうことはしたくない。

 

 前職で学んだことは何だろうかと思う。一体何を学んだのか。少なくと言えることは、嫌な事を無理矢理でもやり切る力は身についたのではないか。納得していないこと、割り切れないことを、納得しないままに、割り切らないままに、なんとかして持ち堪えて、休まずに仕事に行く。それは能力とか技術とかいうものではいかもしれない。責任感。私は、自分に一番欠けているものは責任感だと思って来た。だが、事実だけ振り返っても、私のこの三年間は、ほとんど仕事しかしていない。旅行は一度も行っていない。贅沢をしたとすれば、食べることくらいである。外食はそれほど多くなかったが、出前を使うようになった。コンビニ通いも止められなかった。体重はみるみる増加した。気分のアップダウンも激しくなったように思う。だが、それでも、仕事を途中で辞めることはしなかった。二ヶ月間休職をしてでも、また戻って、頑張った。私は、少なくとも言えることは、この三年間、とてもよく頑張った。修士論文もそう。出来上がった論文は、論文の態をなしているとも思えない、教授の手解きや支援がなければ受理されなかっただろう、酷い代物だ。二度と見返したくない、辛い思い出である。だが、あの時も、私は、そこから逃げずに、修士号を貰った。逃げ出さなかった。諦めなかった。教員を辞めた後、東京の実家に身を寄せた後も、すぐにアルバイトを見つけた。病院も自分で探した。本を沢山買って来て、自己理解に努めた。日曜日に介護の派遣労働をしたこともあった。事務所移転の派遣もやった。一番きつかったのは荷下ろしの派遣だった。あれは労災ものだった。それでも、私は、働くことを諦めなかったし、病気と闘うことを止めなかった。朝起きるのができなかったから、早朝のパチンコ清掃のアルバイトも半年ほどやった。あの時もきつかった。それでも、仕事は休まなかった。

 

 2017年の2月。修士論文が出せなかったあの日から、私は、人間が変ってしまった。それから7年が経過した。私は、この7年間、一生懸命頑張ったと思う。敢えて恐ろしいことを言えば、この7年間は、「死にたい」との戦いだった。死にたい自分とずっと向き合ってきた。そして、その戦いに勝ち続けていた。なぜなら死ななかったのだから。この苦労は、鬱病を体験した者でないと分からないと思う。分からなくていいものだ。

 

 鬱病にならなかったら、今頃、教員を7年目を迎えたのだろうか。こんな空想をしても仕方ないが、もし大学院に行かなかったら、社会人として10年目を迎える年になる。いや、もし留学に行かず、浪人もしなかったら、12年目だ。大学に行かずに高卒で働き始めたら、16年目のキャリアになるはずだ。私は、どう贔屓目に見たって、労働機会を失い続けている。これは認めざるを得ないのではないか。

 

 病気になって失ったものは色々ある。心身の健康。お金。見た目の自信。何をするのも億劫になったし、外に出たがらなくなった。その結果、新しく友人を作るのも、恋人を作るのも、自分には無理だと思うようになった。転職の勇気も出ない。他人に相談することもできない。山のように本を買っても、それを読む気力も継続しなかった。いつ死んでもいいと思って生きて来たし、今も、そう大して変わっていないと思う。この人生がこれからもずっと続くのかと思うと、嫌気が差す、瞬間がある。なんで東京に居るのか分からない。親やきょうだいのことを軽蔑していた時期も長い。

 

 7年。その長さ。誰彼に共感して欲しい訳ではない。ただ、嗚呼、7年!7年間の辛抱。7年間の孤独。7年間の闘病。それで何を得たのか。何を学んだのか。あまりにも生々し過ぎて、教訓なんて生易しい言葉では言い表すことができない。

 

 正直になろう。将来のことなど今はこれっぽっちも考えていない。考えられない。来月の支払いがどうなるか分からないのに、10年後、20年後の未来など、どうでもいい。自分の健康が第一である。今の仕事では食っていけない。肉体も精神もボロボロになるだけだ。教師の仕事が辛いのは承知の上だ。だが、少なくとも、売り上げが立たないからボーナスが減額されるようなことはないし、生徒数が上がらないから首が飛ぶ訳でもない。私は、今、心身の健康と自分の生活の安定だけを求めている。それ以外のことは頭にない。

 

 最初の疑問に戻る。なぜ教師を志すのか。それは教師という側面よりも、公務員だからである。公務員になりたいと思っているだけである。生活を安定させたいから、それだけである。本音を言えば、それだけだ。逆に言えば、それくらい、今、切羽詰まっている。

 

 いくらでも建前は言えるだろう。だが、本音の根っこは、我が身可愛さである。自分の本音を見失いたくないから、こんな露悪趣味とも自虐趣味とも受け取られかねない文章を公開している。

 

 こんな態度は、保守でもなんでもない。ただの保身である。全然立派ではない。ただ生き延びたいが為である。それは醜い。正しいとか間違っているとかの以前に、醜いと思う。この醜さをどう考えるのか。では、醜くない、自分でも納得できる生き方とは何なのか。

 

 3月末に今の仕事を辞める。それは絶対である。では4月からどうやって生きていくのか。一人暮らしといえど、毎月最低15万円はかかる。アルバイト生活をするのか。アルバイト生活が清貧な暮しなのか。そんな訳がない。じゃあ、お前がやってみろと言いたい。どれだけ不安か、精神的に追い詰められるか。私は28歳から30歳までの3年弱、アルバイト、フリーターだった。いい大人の男が、老いた両親の脛を齧りながら生きていくその恥ずかしさ、申し訳なさ、死にたさは、とうてい言葉で形容できるものではない。あんな経験はもう二度と御免である。それならいっそのこと、アルバイトの掛け持ちでも何でもいいから、独りで生きて、独りで死んだ方がマシである。生きていればなんでもいい、なんてのは、大嘘である。生殺しだ。

 

 結局、4月から正規の仕事をする必要がある。では、今の自分の経歴を踏まえて、出来そうな仕事、やれそうな仕事、折り合いを付けながら、上手く回せそうな仕事といえば、結局、教育現場しかない。学校しかない。それは塾ではない。私立学校は、半分塾みたいなものだから、結局公立の学校しかない。だから、今、4月から何処かで非常勤講師ができないか探している最中である。もし見つからなかったら、私立高校で雇ってもらうしかない。

 

 我が身可愛さ。今の自分の心理はそんなところだ。

 

    どれだけ醜くても、自分の本音に正直になること、それを率直に言葉に表すこと。そうすることで、なんとか正気を保っている。